岸優太の学歴|出身幼稚園や小学校・中学校は川越のどこ?中学生の部活についても

岸優太さんは、埼玉県川越市のご出身です。

番組内でも明言された確定情報ですが、母校や部活動なども詳しく知りたいですね。

この記事では、岸優太さんの出身幼稚園や小学校・中学生までの学校・学歴情報をまとめました。

最後まで読むと、少年時代の岸優太さん像がより鮮明になりますよ。

岸優太の出身幼稚園の川越の場所はどこ?

まずは改めて、岸優太さんの基本プロフィールをまとめてみました。

本名 岸優太(きし・ゆうた)※芸名と同じ
誕生日/星座 1995年9月29日(てんびん座)
血液型 A型
出身地 埼玉県川越市
身長/体重 167cm/57kg
家族構成 父・兄(大貴:2歳上)・妹(3歳下)/・母(ともよ:離婚→別居)
最終学歴 通信制高等学校(校名等は不明)
ジャニーズ事務所入所日 2009年7月20日(当時13歳)
入所期の近いタレント 橋本涼(HiHi Jets)・佐藤勝利(Sexy Zone)
ニックネーム 岸くん・コシくん・KC・キッシー 他
所属事務所 ジャニーズ事務所(2009~ 2023年)→TOBE(2023年~ )

出身地に関しては、テレビ番組内での岸優太さんの「(実家の場所が)時の鐘の近く」という発言から「川越市」と確定しました。

同市で育った岸優太さんですが、残念ながら通っていた幼稚園や保育園について特定できる情報は見付けられませんでした。

ここでは、調査して得られた情報の中から、小学校に就学する前の岸優太さんがどんなお子さんだったのかをご紹介します。

岸優太は父子家庭なので保育園の可能性も

川越市は人口も多く、保育園や幼稚園が沢山あるのですが、岸優太さんが通っていたのは幼稚園と保育園、どちらだったのでしょうか。

2023年の「nonno」のインタビュー記事によれば、この頃岸優太さんには人生最大のモテ期が到来していたそうです。

さすが岸優太さん、モテ人生の始まりが早いですね!

人生最大のモテ期は、幼稚園の時。

お昼寝タイムは女の子たちがみんな俺の周りに集まってきちゃって、あの光景は今でも忘れられないですね。

ただ、その後の学生時代はビックリするくらいモテなくて。

いや、当時はイモ顔だったし、気持ちは分かるんですよ! でも、今は(自分の顔を指さして)これですからね。

きっとみんな後悔してると思うので、「もっとアンテナ張っといたほうがよかったんじゃない?」って言ってあげたいです。

【岸優太】初主演映画『Gメン』撮影エピソード。中学の時、モテるためにやってたことって?

ところで、この引用部分を読んで「ん?」と気になった方もいらっしゃるはず。

岸優太さんは「幼稚園時代」と語っていますが、お昼寝の時間があるのは保育園で、一般的に幼稚園ではお昼寝はしませんよね?

また岸優太さんは主演ドラマ「すきすきワンワン!」(2023年)のPRとして、2022年にTV番組「スッキリ」にご出演の際のトークの中で、「保育園」と発言していました。

ドラマの内容にちなみ、「再会したい人」を聞かれた岸さんは、「保育園の先生、再会したいですね。

当時好きだったんで、その先生に『今の俺どうですか?』って言ったら、どんな感じになるのかなみたいな。

初恋でしたね。お礼ももちろん言いたいですし」と回答。

https://coconutsjapan.com/johnnys/post-89983/

先生への淡い初恋や、今の岸優太さんの動物・自然好きのルーツが保育園での体験にあることを語ってくれていました。

さて、岸優太さんのご家庭は、お父様が2歳上のお兄さん、岸優太さん、3歳下の妹さんの3人兄弟を育てる父子家庭でした。

一般に、ひとり親のご家庭やお子さんの多いご家庭は保育園に優先的に入れます。

園にもよりますが、幼稚園より預かり時間が長く融通を利かせやすい保育園は、3人のお子さんを育てながらお努めする多忙なお父様の事情にも合致しているように思えます。

また、先ほどの「お昼寝時間」発言からも、岸優太さんは幼稚園ではなく保育園に通っており、「幼稚園」発言は単に「小学校に入る前の時期」を示す一般語彙として使った可能性が高そうですね。

ご実家の近所である「時の鐘」周辺にも保育園はいくつかありますが、保育施設は必ずしもご自宅近くではなくお勤め先の近くや通勤途中で立ち寄りやすい場所を選ぶことも多いので、特定は難しく、絞れませんでした。

岸優太の出身小学校の場所はどこ?

岸優太さんが卒業した小学校についてはご本人の言及がなく、川越市立初雁中学校の校区内と推測されますが、特定には至っておりません。

ですが、ご本人の談話やファンの投稿などから推察できる材料はいくつかありますので、調査で分かった範囲での情報をご紹介いたします。

岸優太の出身小学校は埼玉県川越市の可能性が高い

岸優太さんは2002年に小学校に入学し、2008年に卒業しました。

何歳ごろから川越に住んでいたのかははっきりしていませんが、小学生時代に川越市の少年野球チームに加わっていたことから、少なくとも小学生時代は川越市内にお住まいだったことが分かります。

令和6年5月現在、川越市立の小学校は32校ありますが、出身中学校が「川越市立初雁中学校」とほぼ確定していますので、その校区から川越小学校・月越小学校・今成小学校・川越第一小学校のいずれか(共に川越市立)に絞れそうです。

(参考URL:https://www.gaccom.jp/schools-9389/district.html)

川越市立初雁中学校の校区

https://www.city.kawagoe.saitama.jp/smph/kosodatekyoiku/sho-chu-ko-shien/chugakko/hatsukari/koku.html

小学校を絞り込むために、手がかりである「時の鐘」を中心にエリアを考察してみましょう。

デビュー後しばらく、岸優太さんの出身については「埼玉県」「田舎のほう」「自然豊かな場所」とは示されていましたが、それより詳しい情報は公開されていませんでした。

そのため、初めは「埼玉県坂戸市」と言われていた時期が長かったのですが、2019年8月に岸優太さんがクイズ番組「今夜はナゾトレ」に出演なさった時に「川越市」と確定しました。

ご当地マンホール蓋の絵柄から所在都道府県を当てるクイズの中で、川越市のマンホールを見て「埼玉県」と正解した岸優太さんは、そこに描かれた同市のシンボル・「時の鐘」について「うちの近く」と発言したのです。

出身地どころか実家の場所まで特定されかねないピンポイントな情報で、ある意味アイドルとしてはちょっと脇が甘いと怒られかねない発言ですが、地元のランドマークを見てついテンションが上がってしまったのでしょうか、そんな天然成分も岸優太さんの魅力なので仕方がありませんね。

https://www.pref.saitama.lg.jp/c1501/manhole/kawagoe.html

なおこのマンホールの絵柄を使用したマンホールカード(あまり知られていませんが、マンホールファンが蒐集するカードで、そのご当地の限られた場所でしかもらえない色々な意味でレアアイテムです)は、本川越駅の観光案内所で無料配布されていますので、岸担の方なら聖地訪問記念品としてゲットするのもおすすめです!

この「時の鐘」は川越市幸町にある、小江戸風情溢れる観光地を代表する川越市のシンボルです。

幸町を校区に含むのは川越市立川越小学校なのですが、あくまで「近く」であり、どのぐらいの距離かはご本人にしか分かりませんから、当然ながら幸町にご実家があるとは限らず特定はできませんが、とにかく重要な情報ですね。

とある岸優太さんファンの方のブログに、「爆買いスター恩返し」番組内で紹介されたお店を回りながら川越市に聖地巡礼した際の詳細なレポート記事があったのですが、その中にとても見逃せない記述を発見しました。

岸優太さんの大のお気に入りだった「笠置そば 川越店」の入店待ち中に、地元の方が「岸くんの実家はこのお店から10分ほどの場所」と話していたのだそうです。

そのママさんのママさんは(おばあさんというにはお若い)川越が地元らしく、岸くんの実家はここから10分ぐらいと、話しをしているのを小耳に挟んでしまい、内心浮かれてしまいました

https://ameblo.jp/rurusay/entry-12823715414.html

駅前すぐ、川越女子高の近くにある「笠置そば 川越店」所在地は「六軒1丁目」で、時の鐘はここから北北東に1.4kmほどの距離です。

このお店から徒歩約10分圏内、かつ時の鐘の近くという2つの要素から推測すると、六軒町・仲町・末広町・幸町・連雀町などが候補に上がります。

可能性としては中央小学校・川越小学校・川越第一小学校・月越小学校、今成小学校はこの店からは少し遠いかな?といったところでしょうか(「川越市の学区マップ」(https://school.mapexpert.net/pgAreaMap?L=11201&N=%E5%B7%9D%E8%B6%8A%E5%B8%82)を参考にしました)。

ですから、冒頭に挙げた初雁中学校区内の4校のうち、「時の鐘」に着目すれば川越小学校、「笠置そば」さんの近所という情報に寄せれば月越小学校、この二校の可能性が高そうです。

今後の岸優太さんご自身のコメントや同級生・地域の方の情報発信が待たれますね。

さて、こちらはXの岸優太さん公式アカウントでご自身が投稿なさった貴重な幼少時のお写真です。

何ともやんちゃそうなお姿は何歳ぐらいの時のものかは分かりませんが、川越の情緒あふれる街でこんな風に元気に少年時代を楽しんでいたと想像するだけで頬が緩みますね。

岸優太は小学校時代に少年野球チームに入ってた

岸優太さんは小学生の頃、川越市内の少年軟式野球チーム「初雁フェローズ」に所属していました。

「初雁フェローズ」は特定の小学校に紐づいたチームではなく川越市少年野球連盟所属の球団なので、複数の小学校から集まった生徒で編成されており、当時の岸優太さんの小学校を特定する材料にはなりませんが、現在でも野球が大得意な岸優太さんの貴重なルーツの一つです。

ポジションはセカンド、背番号は14番だったようです。

初雁フェローズの公式サイトの案内によれば、2024年現在のメンバー募集対象は「小学1~6年生までの男女生徒」とあります。

岸優太さんは雑誌のインタビューで「2歳年上のお兄さんに影響され、5年生から野球を始めた」と語っていますので、初雁フェローズにも5,6年生の2年間入っていたと推察されます。

──野球を始めたのはいつだった?

「小5です。先に兄貴が野球をやっていて。兄貴に憧れてやってみたくなったんですよね。野球が自分の中で初めて人生で本気になれたものです。ほかのことは全部ダメで唯一、一生懸命になれたのが野球でした」

https://web.archive.org/web/20220822014832/https://myojo.shueisha.co.jp/interview10000/kp_kishi.html

なお2019年6月放送の「バズリズム」では、野球をしていた小学校時代の坊主頭の岸優太さんの貴重なお姿が公開されました。

岸優太さんは2023年8月に「爆買い☆スター恩返し」に出演しました。

このバラエティー番組は著名人が故郷やゆかりの場所を訪れ、その魅力を紹介しながらお店を回り、訪れた先で爆買いして予算を使い切るという趣向で、川越市を訪れた岸優太さんはお気に入りのお店を食べ歩いたり買い物や地元の方との触れ合いを存分に満喫なさったようです。

その中で野球少年時代を振り返り、初雁フェローズのチーム名にも触れて紹介したことで確定されました。

番組内では行きつけのスポーツ用品店で当時の鬼コーチ・利根川さんに再会して昔話に花を咲かせた後は、爆買いした大量の野球用品を初雁フェローズの後輩たちにプレゼントしていました。

岸優太の出身中学の場所はどこ?

岸優太さんが2008年から2011年まで通っていた出身中学校は、川越市立初雁中学校という情報が最も有力です。

このコーナーでは同中学校の概要や所在地、そして岸優太さんの中学時代の部活動や気になるプライベートに関してご紹介していきます。

岸優太の出身中学校は川越市立初雁中学校

岸優太さんは2008年に中学校に入学し、2011年に卒業しました。

岸優太さんの出身中学に関する公式情報はありませんが、SNSでの同級生関係者の投稿や卒業アルバム写真の制服などにより最有力視されているのが初雁中学校説です。

川越市出身が確定していない頃は「坂戸市立千代田中学校」の名前がよくネット上で挙がっていましたが、そちらは古い情報のようです。

ここでは川越市立初雁中学校の基本データをまとめてみました。(情報は主に2024年現在の公開情報に基づいており、岸優太さんが通学なさっていた頃とは異なる可能があります)

正式名称 川越市立初雁中学校
通称 初中(はっちゅう)
設立年・沿革 昭和22年「川越市立川越第二中学校」として創立
昭和28年に現在の校名に改名
所在地住所 埼玉県川越市宮下町1-21-3
代表電話番号 049-222-0749
学級数/生徒数 19学級(特別支援学級・複式学級を含む)/498名(平成6年4月時点)
校訓 英知:優れた知恵
気力:活動に耐えうる精神力
友愛:友人に対する友愛の情
校歌 作詞:勝承夫/作曲:下總皖一

歌詞掲載URL:https://www.city.kawagoe.saitama.jp/kosodatekyoiku/sho-chu-ko-shien/chugakko/hatsukari/koka.html

交通アクセス 西武新宿線・本川越駅から徒歩17分

小江戸循環バス「氷川神社前」停留所から徒歩2分
東武バス川越06系統「宮下町」停留所・同系統「裁判所前」停留所からともに徒歩2分

関越自動車道「川越IC」 から 4.1km

制服 男子:学生服
女子:襟なしブレザーとスカート
同校出身の著名人
(岸優太さん以外)
市村正親(ミュージカル俳優)
三遊亭鳳楽(落語家)
山口泰明(元衆議院議員)
市村正親(ミュージカル俳優)

地図

外観・校章など

https://www.city.kawagoe.saitama.jp/kosodatekyoiku/sho-chu-ko-shien/chugakko/hatsukari/youkoso.html

https://www.homemate-research-junior-high-school.com/dtl/00000000000000118007/photo_album/

ちなみに人気ライトノベル・アニメの「ソードアート・オンライン」の桐ヶ谷直葉というキャラクターが通う架空の中学「川越北中学校」のモデルがこの初雁中学校とされており、いわゆる「聖地巡礼」で来訪するファンもいるのだそうです。ちなみにこの作品の主人公も川越市在住という設定です。

学校指定ジャージは入学年によって「赤(えんじ色)・緑・青」と異なる色をローテーションするシステムなので、ジャージの色を見れば何年生か分かるようになっていたそうです。

2008年入学の岸優太さんは何色のジャージを着ていたのでしょうね。

学校口コミサイトなどの情報によれば、偏差値や雰囲気などはごく標準的な公立中学校で通いやすい一方、良くも悪くも伝統的で校則が多め、そして昭和から変わらない制服のデザインには主に女子生徒やその親御さんからの不満も散見しました。

岸優太の中学生時代の部活は野球部

岸優太さんは、「初雁フェローズ」で活躍した小学校時代に引き続き、初雁中学校でも野球部に入り、最も難しいと言われるセカンド(二塁手)のポジションを守っていました。

打順は「調子のよい時は2番、悪ければ8,9番」だったと、横原悠毅さんとの対談動画の中で岸優太さんご本人が明らかにしています。

岸優太さんご本人の回想によると、選抜メンバーの候補になるなど実力は高く評価され、足の速さを見込まれてバントをよく命じられたりと、小技を活かすタイプの選手だったそうです。

また、カッコいい所を見せてモテたかった岸優太さんは、女子生徒が見物に来たのを察知すると、より視界に入りやすいショートの部員にポジションを交替してもらったり、普通に捕球できる打球をわざと突っ込んでスライディングキャッチしたりと、アピールに余念がなかったそうです。

中学2年生の夏にジャニーズ事務所入所に伴い退部したことを、2019年6月の「バズリズム」出演時に明かしていました。

岸優太は中学校時代に彼女がいた

岸優太さんには、小学校2年生頃から想い続け、中学2年生に交際を始めた初恋のお相手がいました

小学生の男女交際も珍しくなくなって久しい昨今ですが、岸優太さんの通う小学校には、好きな相手がいても「小学校から付き合うのは早いのでNG、交際は中学生から」という古風な不文律があったそうで、告白することはなかったとか。

ジャニーズ事務所に入所する少し前、ということなので中学2年生の1学期後半あたりでしょうか、長年の好意が実りその女の子とのお付き合いが始まったとのこと。

よかったですね、おめでとう!……と思いきや、夏休みが終わり2学期が始まった時に岸優太さんが見たのは、彼女が他の男子生徒と仲良く手を繋いで登校する姿でした。

彼氏彼女と呼べたのはあまりにも短く、岸優太さんは切なくもはかない初めての失恋の苦しさを味わったそうです。

これは岸優太さんが初めてのMCを務めたNHKの番組「密会レストラン」の第一回(2019年5月5日放送)で明らかになったエピソードです。

女優の寺島しのぶさんや平成ノブシコブシの吉村崇さんと共に多彩なゲストを迎え、「恥ずかしがらず、恋の話を楽しむこと」「ゲストの濃厚な恋愛談義からギャルソン姿の岸優太さんが恋愛を学ぶ」がコンセプトだったこともあり、岸優太さんのプライベートやアイドルとしてはかなり赤裸々なお話もうかがえる番組でした。

実はこの「憧れの女の子」に関しては以前も思い出を語ったことがありましたが、その子と短期間とはいえ「交際していた」と明言したのはこの時が初めてで、当時ファンの間には激震が走りました。

「岸は過去にも雑誌のインタビューで、小学校2年生から中学校2年生まで同じ女の子に思いを寄せていたと、語っていたそうです。“運動神経が良くて少し男の子っぽい子”だったといい、ちょっかいを出して泣かせてしまったこともあったものの、『学年が上がるうちに意識して話せなくなっちゃった』と回顧していたとか」(ジャニーズに詳しい記者)

https://cyzowoman.jp/2019/04/post_230589_1.html

公開後の岸担の反応は様々で、「ショック」「寝込んだ」「いや、あの顔と性格で彼女がいないわけがないでしょ」「でもアイドルならわざわざ言わないで、墓場まで持って行ってほしかった」に始まり、「実は元カノって私なんです(ネタ虚言でも吐かないとやってられない派)」などのネタ系発言も交えてSNSを賑わわせていました。

いずれにせよこんな風に堂々と語れるということは、現在のお付き合いはなく、岸優太さんの中で完全に思い出に昇華されているという証ではないでしょうか。

岸優太は中学生時代にジャニーズに入所

岸優太さんは2009年、中学2年生の7月にジャニーズ事務所に入所しました。

ご自身は当時芸能界への興味はさほどなく、書類を送って応募したのは岸優太さんの叔母さまだったそうです(ジャニーズJr時代などに、応募したのは「いとこ」と何度か語られていましたが、これは岸優太さんの思い違いで、叔母さまが正しいとのこと)。

野球部に所属していた岸優太さんの写真は、当然ながら丸坊主でした。

アイドル志願者としてはなかなかのハンデに感じますが、物ともせずに選ばれたのはやはり岸優太さんの生来の素材の良さが圧倒的に輝いていたからに違いありません。

なお、オーディションの時もまだ髪の毛は伸びておらず、「坊主頭は自分だけ」で、恥ずかしかったそうです。

──叔母さんがジャニーズに履歴書を送った理由は?

「イケメンだってことで送ってみようってなったらしいです。うーん、そこまでイケメンって言われて育った気はしないんですけどね。まあ、家族や親戚には言われてきたかな。で、送ったら、なぜか今ここにいますね」

──いやいやいや、今日までいろいろあったと思うよ。そもそもオーディション、受かると思った?

「野球部だったんで履歴書の写真が坊主だったんですね。オーディションも坊主で参加して。参加者が2、300人いたのかな。坊主は僕一人だけだったんで恥ずかしくて。こんなの落ちるに決まってんじゃん。なんて場ちがいなんだって。でも、オーディションが進むにつれ、ふるいにかけられていったんですけど、なんかうまい具合にずっとギリギリで拾われ続け、気づけばJr.の活動が始まったんですよね」

https://web.archive.org/web/20220822014832/https://myojo.shueisha.co.jp/interview10000/kp_kishi.html

入所当初、歌やダンスのレッスンは野球とは勝手が違い、経験のない岸優太さんにはとてもきつかったそうです。

現在の高い歌唱力とキレッキレのダンスを知っている私たちにはとても意外なお話ですね。

しかし頑張って食らいつき、続けているうちに少しずつ楽しくなり、意欲的に取り組めるようになったとのこと。

努力家の岸優太さんらしいエピソードですね。

岸優太の中学校の卒アル写真

岸優太さんの中学校時代の卒業アルバムとされている写真は、こちらの投稿の1枚目です(なお2つ目の写真は小学校の卒アル説があります)。

初雁中学校の制服は学ランですし、間違いなさそうですね。

15歳の岸優太さん、つぶらな瞳がとても可愛いです!

そして注目していただきたいのが、向かって左側の襟元なのです。

向かって左側に「Ⅲ」「C」のバッジが2つ並んでいますね。

この手のスクールバッジでは、左が「3年」を現す学年章・右がクラス章というパターンがとても多いんです。

だとすれば、岸優太さんの3年の時のクラスは「C組」だったと考えられます。

まとめ

岸優太さんのご実家は埼玉県川越市の、「時の鐘」に近い地域のようです。

岸さんが通っていた幼稚園・保育園・小学校に関する確定情報はありません。

小学校については川越市立川越小学校か同市立月越小学校・今成小学校・川越第一小学校のいずれかが有力ですが、確定には至っていません。

小学5年生から川越市の軟式少年野球チーム「初雁フェローズ」に加入し、セカンドポジションで活躍していました。

出身中学は川越市立初雁中学校で、2年生まで野球部に所属し、引き続きセカンドでした。

小学校時代から憧れていた女子と2年生1学期ころにお付き合いを始めましたが、2学期が始まる頃には交際が終わってしまったそうです。

中学2年生の時に、叔母さまが応募したのをきっかけにジャニーズ事務所に入所しました。

この記事では、岸優太さんの中学校卒業までの学歴・経歴を中心に情報や少年時代の画像などを集めてみました。

川越市を訪れる機会がありましたら、「時の鐘」付近で観光を楽しみつつ、「ここが岸優太さんの育った街」と噛み締めながら散策を楽しむのも推し活の一つの形かもしれませんね。