岸優太の昔の子供時代や苦労した生い立ち・幼少期エピソードをご紹介!
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多彩な表情が魅力の岸優太さん。

兄貴感・後輩力・カッコよさ・何歳になっても不変のキュートさとガキ大将感が全て同居しています。

この記事では、そんな岸優太さんの「ヤンチャ」部分の源泉といえる少年時代を、画像多めでご紹介します。

最後までご覧いただくと、可愛い幼少期の写真やエピソードをたっぷり見られますよ。

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岸優太の苦労した生い立ちや幼少期エピソード

いつも快活、時に天然の混じる元気さで、周囲の人やファンを笑顔にしてくれる岸優太さん。

ですが、幼少のみぎりは父子家庭で育ち、家事を担っていたこともあり、「実は苦労人」という噂も聞きます。

若い頃や子供の頃の苦労話などはあったのでしょうか?

当時の家庭事情や逸話などを、インタビュー記事やトークからまとめてみました。

岸優太は父子家庭育ち

岸優太さんは、父親とお兄さん・妹さんと岸優太さんご本人の4人暮らしで、父子家庭で育った中間子です。

岸3兄弟

引用元:https://www.pinterest.jp/pin/66217057012988921/

写真右側の黒いTシャツの男児が岸優太さん、中央が兄の大貴さん(2歳上)、左が妹さん(3歳下)です。

父子世帯となった経緯は不明ですが、母親は存命で、岸優太さんへ出演作の感想を伝えたり、共に食事に行くなどの円満な交流があるそうです。

死別ではなく、離婚による生別かと思われますね。

岸優太さんは数々のインタビューや番組トークで、「兄弟で協力して買い物や料理をしていた」小学生時代を語っています。

離別がいつ頃かも明らかにされていませんが、少なくとも岸優太さんが小学校に上がる頃には父子家庭となっていたようです。

また、「裕福ではなかった」そうですが、一方で習い事も色々していたようなので、特に経済的に困窮していたわけでもないようにお見受けしました。

うち父子家庭だったんで、子どもだけで家庭のことをいろいろしなきゃいけなくて。

金銭的にも裕福ってわけじゃなかったんで、小学生のころから晩ごはんを自分たち3人でスーパーに材料を買いに行って、家で作って兄妹で食べたりしてましたね。

よく作ったのはチャーハン。

チャーハンって材料はなんでも大丈夫じゃないですか。調味料もテキトーでいいんで。

引用元:https://web.archive.org/web/20220822014832/https://myojo.shueisha.co.jp/interview10000/kp_kishi.html

ひとり親家庭で育ったことは、インタビューなどでよく語られるため、岸優太さんファンの間ではよく知られた事実です。

しかしどのエピソードにも悲壮感はなく、岸優太さんはいつも、家族4人で力を合わせた日々を懐かしく、またポジティブに振り返り、お父さんへの感謝やリスペクトを言葉にしています。

「ただ、こういうことを言うと、“大変だったね”とか言われたりもするんですけど、僕の家に関して言えば親父がすごいがんばってくれてたんで、寂しい思いも、ツライ思いも特にしたことないんです。仕事が忙しくても親父は家にいるときは遊んでくれたり、料理を作ってくれたりして。思い出しますね、業務用くらいの大きな鍋でよくカレーの作り置きをしてくれたんですよね」

引用元:https://web.archive.org/web/20220822014832/https://myojo.shueisha.co.jp/interview10000/kp_kishi.html

また、インタビューなどで仕事として尋ねられない限りは、自分から「母親不在で育った」ことや「母親がいなくて困ったこと・寂しかったこと」を意識的に言わないようにしているそうです。

理由は「母親不在で育ったことをお父さんに負い目だと感じさせたくない」からと語る岸優太さんの、お父さんとの絆を改めて感じます。

お母さんはいなくとも、近くに住む叔母さまが何くれとなく力を貸してくれて、彼女のお子さんたちとも一緒に行動する機会が多かったので、岸優太さんたち3兄妹も寂しがらずに済んだのでしょう。

岸優太さんはよく叔母さまのことを「育ての親」として感謝を込めて語っていますし、岸優太さん自身も「年少のいとこの面倒を見た」そうです。

ひとり親家庭というと「寂しそう」な先入観で見てしまいますが、実質的には兄弟がたくさんいる大家族的なノリで育った日々も多かったのかもしれませんね。

お父さんは子供たちへのしつけ、とりわけマナーや挨拶・礼儀作法にはなかなか厳しかったとのことで、学校帰りにランドセルをちゃんと片付けずに遊びに出るとペナルティがあったり、「自分のことは自分でやる」ことも徹底的に叩きこまれたといいます。

岸家家訓

それも全て子供たちの将来のためを思ってのことであり、人として「勉強よりも大事」だから教えてくれたのだと岸優太さんは感謝しています。

岸優太さんはちょくちょく少年期の家庭の思い出を話してくれますので、ファンの間では小学時代から料理していたエピソードや妹さんの世話のお話などは割合有名ですね。

それらの中で岸優太さんは、「(家事を)やらされてた」という表現をほとんど使わないのです。

単に「料理してた」「妹とお風呂に入っていた」と、常に能動的な言葉で語っています。

そこからは、イヤイヤ「させられた」のではなく、自分たちのことは自分たちでやる・家のことはその時できる人間がするのが「当たり前」としていた岸優太少年の人間像が浮かび上がってきます。

確かに同じ年齢の子たちの「お手伝い」よりずっと多い家事タスクを担っていたに違いありませんが、それを「苦労」や「不幸」とは考えていなかったようです。

だから「苦労したんだろうね」と、世間が抱きがちな「ひとり親家庭の不幸な子」のステレオタイプを前提に語られても、失礼以前に「うち、全然そういうのとは違うけどなあ」という感じで、ピンと来ないのかもしれません。

岸優太は幼少期やんちゃだった

岸優太さんとご兄弟は、お父さんの教育方針で「しつけキッチリ」・「腰は低く、礼儀をしっかり」と育てられました。

それはそれとして、昔の岸優太さんはとてもやんちゃで元気があり余り、「兄弟の中で一番手がかかる」少年だったそうです。

こちらは岸優太さんご自身がXで投稿した子供時代の写真です。

やはりご本人からの産地直送はモノが違いますね。

1枚でこれでもかとやんちゃぶりが伝わって来る完璧なスナップです。

このコーナーでは、岸優太さんご自身が語ったエピソードをピックアップしてご紹介します。

①ウルトラマンごっこで骨折

──礼儀正しいのは昔からなんだね。

「でも、腰は低かったかもしれないですけど、高いところが好きでしたね。“ウルトラマン!”って叫びながら高いところから飛び降りて腕を骨折したりしてましたから。よく兄妹で一番手がかかったって言われてました」

引用元:https://web.archive.org/web/20220822014832/https://myojo.shueisha.co.jp/interview10000/kp_kishi.html

この骨折エピソードは岸優太さんお気に入りの定番武勇伝のようで、複数のインタビューで登場していますね。

筆者はこの逸話を初めて読んだ時に、「昭和の小学生かな??」と思わず口走ってしまいました。

ヒーローごっこに高い所からのジャンプ(そして失敗)、まさに元気ありすぎ小学生男子の定番行動ですね。

ウルトラマンごっこの時に「ヘアッ!」などと言わずに「ウルトラマン!(※当然ですがウルトラマンはそんな発声はしません)」と叫ぶ直球さに、これ以上なく岸優太さんらしさを感じずにはいられません。

②妹と海猿ごっこ

続きまして、ごっこ遊びネタをもう一つどうぞ。

岸さんと妹さんのお風呂エピソード

https://www.pinterest.jp/pin/851250767101950195/

映画「海猿」がマイブームだった岸優太さんは、小学6年生あたりまで「人命救助の仕事」に携わりたいと憧れていたそうです。

小さい頃は毎日妹さんとお風呂に入っていた岸優太さんは、自分を海上保安官・妹さんを水難者に配役して「水難救助ごっこ」をよくやっていたと神宮寺勇太さんとの対談で披露しました。

妹さんには溺れるマネをさせ、自分はシュノーケルをくわえてお風呂に潜って助ける遊びだそうです。

妹さんとは他にも、釣りごっこ(岸優太さんが釣り師で、妹さんが魚役。なおエサはお人形)も、なんと妹さんが中2になるまでやっていたとか。

妹さん、なんだかんだでき合い良すぎでは(笑)?

他にも「ホームセンターに行くと必ず兄弟でかくれんぼしていた(2023年2月「VS魂」)」など、兄妹遊びのエピソードが沢山あります。

微笑ましい兄弟仲ですね~!

③埼玉の自然児・岸優太さん

実家周辺の自然を語る岸優太さん引用元:https://www.pinterest.jp/pin/851250767102034036

雑誌「Myojo」2017年8月号のインタビューで、岸優太さんは当時のご実家周辺を「田んぼや川があってのどかな田舎」と言っていました。

岸優太さんのご実家は埼玉県川越市で、市を代表するランドマーク「時の鐘」の近くらしいので市街地と思いきや、なかなかに田園風景や自然の豊かな場所のようですね。

この記事では、大いに動植物に親しんだ子供時代のエピソードをたくさん語ってくれています。

  • 川でコイをキャッチ&リリース
  • ヤモリやイモリを飼っていた
  • 少し離れた祖母の家で、犬とサッカーをして遊んでいた
  • 家に柿の木があり、よく登っていた

そんな自然派ワイルドな岸優太少年も、「一家そろってカエルが苦手」というのがなんとも面白いですね。

異物挿入事件

チャイルドシートの詰め物の綿(恐らくウレタンかスポンジ)を出来心で鼻に詰めた岸優太さん。

誰にも何も言わず過ごし、数日後にお父さんが異変に気付きます。

日数が経っていたせいかなかなか取り出せず、病院に駆け込みけっこうな騒動になったとか。

また、道に落ちていたタバコの吸い殻を口に入れてしまい、やはり病院へ急行したこともあったそうです。

「なぜわざわざそんな物を?」と驚くような異物を口や鼻に入れてしまう(そして親に言わない)のは幼児あるあるとはいえ、タバコは対処が遅れれば命に関わる猛毒ですから、大事に至らず何よりでした!

小さい岸優太さんから目が離せなかったお父さんやお兄さんの苦労がしのばれます。

④ケチャップドッキリ作戦

兄妹がまだ帰って来ていないある日、岸優太さんは「死んだふり」で二人を驚かせようとします。

そこで考えたのが、体中にケチャップを塗りたくって出血に見せかけるイタズラでした。

ケチャップまみれになってリビングに寝転がり、ひたすら家族の帰りを待つ岸優太さん。

先に帰って来た妹さんのリアクションは「バカじゃん……」の一言だったといいます。

「早く来ないかな~」とドキドキしていたケチャップまみれの岸優太さんと、妹さんの氷点下リアクションの落差が味わい深すぎますね。

もしかすると、岸家は全員イタズラ好きなのかもしれません。

ある時はお父さんと妹さんが一緒になって、空になったジュースのパックに塩水を入れておき、岸優太さんがそれをまんまと飲んでしまいドッキリの被害者になったことも。

岸優太さんは「いつかふたりのスリッパに強力テープを貼って、『脱げない?』と驚かせてやろうかな」と、やはりイタズラにはイタズラでの報復案を語るのでした。

⑤リンス事件

当時のお父さんのオールバックの髪型に憧れて、自分もマネしたい!何か髪に塗ろう!と思い立ち、リンスをべったり付けてヌルヌルテカテカにしたことがあったそうです。

小さなことでも憧れるほどお父さん大好きだったのでしょうね。

少年岸くん

引用元:https://x.com/kc0929soba/status/1186932811040608257

岸優太さんは他にも、イビキに憧れて(憧れた理由は岸優太さんご本人以外には理解不能ですが……)「イビキのかき方を教えて」とお願いしたこともあったとか(2014年「Myojo」2月号より)。

そんなお願いをされたお父さんも「教えろと言われても」と、さぞ困惑したに違いありません。

その時「イビキ指導」が行われたかどうかは謎ですが、今では岸優太さんはキンプリメンバーから「岸くんのイビキがうるさい」と言われるほどイビキスキルを身に着けているようです(なお本人は断固認めず)。

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岸優太の子供時代の幼少期の画像がかわいい!

ここからは、岸優太さんの子供の頃の写真画像をご覧ください。

もちもちキュートな幼少期、岸優太さんらしい表情やヤンチャさ溢れる写真、そして野球少年期の画像など、さまざまなキッズ岸優太さんの姿を集めてみました。

この記事では、小学生時期までの画像に限定しています。

ぷくぷくほっぺの岸優太

なべて世の幼児さんは顔も手足もぷにぷにしていて可愛いものですが、岸優太さんの小さい頃のほっぺは国宝級と呼びたくなるほどモチッとして豊かで、どの画像を見ても思わず触りたくなってしまうのです。

そこで岸優太さん子供時代の絶品ほっぺた画像を集めてみました。

まずは羽織とハチマキが可愛いこちらをどうぞ。

岸優太子供時代

引用元:https://kaaya.hatenablog.com/entry/2020/07/20/215604

もうすべてが完璧です。

「餅から生まれた餅太郎」と言いたくなるほどに真っ白美肌のモチモチ具合ですね。

この頃からすでに岸優太さんの手が大きくて指が長いこともはっきり分かります。

下の画像と大体同時期でしょうか。

子供時代の岸優太

引用元:https://www.pinterest.jp/pin/66217057013006483/

次はこちら。

詳細は分かりませんが、これもだいぶ小さい頃の岸優太さんですね。

こちらは2023年Mステ出演時に、キンプリメンバーそれぞれが「自分史上一番かわいい写真」を持ち寄った時に岸優太さんが披露してくれた4歳ごろのお写真です。

岸優太子供時代

オーバーサイズ気味の上着も相まって、キメ過ぎていない自然な表情が可愛いですね。

後ろにキリンがいるので、動物園で撮影した写真なのでしょう。

次は遠足(名札からして保育園か幼稚園?)の一場面のようですね。

岸優太さんいわく、園児時代が「人生最大のモテ期」だったそうで、お昼寝の時間には女の子たちが争って添い寝しに岸優太さんの周りに集合するほどだったとか(2023年「non-no」インタビューより)。

出典:https://x.com/naniwa__/status/982597924390502400/photo/1

同じ教室にこんなに可愛い男の子がいたら無理もない話かもしれません。

岸優太少年時代

引用元:https://www.pinterest.jp/pin/31877109853871136/

小学生ぐらいになると大分シュッとしてきますね。

岸優太は幼少期から今の面影がある

同一人物ですから当然なのですが、「今の岸優太さんと同じ表情だ~!」としみじみ実感できる画像が色々ありました。

出典:https://x.com/REI09291/status/1256843082693251073/photo/1

出典:https://x.com/kc0929soba/status/1186932811040608257

特に歯を見せる笑い方や、ギュッと引いた口元に、現在に通じる「岸優太さんらしさ」「わんぱく感」が凝縮されていることに改めて気づきます。

小学校時代の岸優太

引用元:https://x.com/shirayuki511/status/1235490337876897792

坊主の野球少年だった岸優太

岸優太さんは先に競技を始めていたお兄さんの影響で野球をスタートしたそうです。

小学校5年生の時に野球を始め、川越市の少年野球チーム「初雁フェローズ」に参加していました。

少年野球時代の岸優太さん

引用元:https://x.com/suzukasuboy/status/1822802909936918754

ポジションはセカンドで、足の速さと当初は長打力に乏しかったことからバントを命じられることが多かったとか。

負けず嫌いの岸優太さんは、悔しさから体づくりと練習に励み、打力を身に着けたという努力家らしいエピソードもあります。

少年時代に身に着けた野球の技術と身体能力が、後の運動会やチャリティーイベントなどに結実していることは言うまでもありませんね。

そして野球少年期の岸優太さんは、髪を短く坊主スタイルに刈り、球児らしくキメていました。

ヘルメットを脱いだ坊主頭の様子がよく分かる画像もどうぞご覧ください。

少年時代の岸優太(坊主頭)

引用元:https://www.pinterest.jp/pin/851250767101949921/

出典:https://x.com/yua929kc/status/1659519484980531202

上の写真はMステで披露されたものです。

岸優太さんは中学校でも野球部に入り、ジャニーズ事務所に入所する2年生まで野球を続けており、その間はずっと坊主頭でした。

当然髪の毛はすぐには伸びませんから、ジャニーズ事務所のオーディションにも坊主頭で臨んだエピソードはファンの間では有名のようです。

かえってインパクトがあって結果的に良かったのかもしれませんね。

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まとめ

岸優太さんは埼玉県川越市で、父親・兄・妹との父子家庭(4人家族・母親とは生別)で育ちました。

小学生時代には料理や妹の世話などのタスクを分担していました。

父親のしつけは厳しめでしたが日々楽しい家庭環境で、岸優太さん自身は子供時代を「不幸」「苦労」とネガティブにとらえてはいないようです。

番組や雑誌、またご自身のSNSなどで披露してくれる子供時代の写真はどれも活発さと可愛らしさに溢れており、現在の岸優太さんに直通する面影をうかがえるものが多くあります。

特に幼児期の画像は、ぷっくり柔らかそうなほっぺたが印象的です。

小学5年生~中学2年生までの4年間野球少年として活躍した当時の写真では、可愛い坊主頭バージョンの岸優太さんの姿が拝見できます。

この記事では、岸優太さんの魅力の一つである「少年っぽさ」「やんちゃ」「自由で天然」の要素が凝縮した少年時代をビジュアルと共にご紹介しました。

今後も様々なメディアでの、岸優太さんの過去画像や逸話のお蔵出しに期待したいですね。

生い立ちや家族など、岸優太さんの背景についてもっと詳しく知りたい方にはこちらの記事もオススメですよ!

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