三宅健と森田剛の伝説|剛健コンビの仲良しエピソードやケンカ・呼び方についても
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TOBEの三宅健さんと俳優の森田剛さんは、かつて共にV6で活躍した大親友です。

お二人は「剛健コンビ」と呼ばれ、ジュニア時代から人気でした。

そんな三宅健さんと森田剛さんの伝説的な仲の良さについて、知りたくありませんか?

この記事を読めば、剛健コンビのエピソードに詳しくなれますよ。

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三宅健と森田剛で剛健コンビ

6人いれば色々な仲良し二人組がある元V6メンバー。

その中でもV6を代表するシンメとして一番に挙がるのが、森田剛さんと三宅健さんの「剛健コンビ」です。

剛健コンビの写真引用元:https://jp.pinterest.com/pin/576038608601862162/

二人とも漢字一文字のお名前で、それを繋げて「質実剛健」にちなみ「剛健コンビ」と呼ばれました。

ジュニア時代からとにかく仲が良く、V6をけん引してきた大親友のお二人。

2024年10月27日の東京国際映画祭では、対面こそなかったものの、時間差で同じレッドカーペットに登場した剛健コンビの姿にファンが沸き立ちました。

また、三宅健さんがジャニーズ事務所を退所する少し前の2023年1月のインスタストーリーズで投稿された動画内に「森田剛さんらしき男性の声」が入っており、コンビ復活の匂わせとも囁かれましたが、そうした続報はないようです。

この記事では、三宅健さんと森田剛さんの伝説の「剛健コンビ」について、数々のエピソードをご紹介します。

「とべばん」など最近のコンテンツを通して三宅健さんのファンになった方も必見ですよ。

三宅健と森田剛の呼び方

三宅健さんは森田剛さんを主に「剛」、たまに「剛つん」と呼びます。

「剛つん」はファンからの森田剛さんの愛称にもなりました。

森田剛さんから三宅健さんを呼ぶ時は「健」「三宅」などです。

ジャニーズ事務所では、先輩後輩関わらず「くん」付けで呼ぶケースが多いのが特徴ですが、この二人は基本的に呼び捨てが多く、親密さを感じさせます。

剛健コンビの写真

引用元:https://jp.pinterest.com/pin/851250767103760295/

また、二人揃った時はコンビ名と同じく名前を連ねた「剛健」と呼ばれていたようです。

呼び方に関して、三宅健さんにはこんなエピソードもあります。

2022年2月2日放送の「突然ですが占ってもいいですか?」で受けた有名占い師の星ひとみさんの姓名鑑定によれば、「ミヤケケン」という音には吉凶両方が混ざっていて、呼ばれ方一つで運気が変わるとのこと。

『三宅』と苗字を呼び捨てにされるのが最悪」という結果に、三宅健さんは「誰か『三宅』呼びする人がいたような……あ、森田剛です(笑)」とリアクションしていました。

剛健コンビの長年の活躍と絆を思えば、多少の凶運などこの二人の前では関係ないのかもしれませんね。

三宅健と森田剛のジュニア時代の伝説

三宅健さんと森田剛さんのジュニア時代の人気は凄まじく、ジャニーズJr.という存在自体を大きく押し上げた立役者でもあります。

そんなお二人の伝説エピソードをご紹介します。

ジュニア時代の剛健コンビの写真

引用元:https://x.com/2skd9/status/641882325903511552

①入所当初から仲良し

森田剛さんと三宅健さんは、お二人ともジャニーズ事務所へ入所して初めての友人としてお互いを挙げています。

ジャニーズ事務所への入所は森田剛さんの方が若干早く、1992年の秋ごろ(1993年説もあり)で、三宅健さんは1993年5月で、ともに中学生でした。

若い頃のギャル男風の外見から「チャラい」「怖そう」と見られがちな森田剛さんですが、実は芸能界でも有名なシャイで人見知りな性格です。

ましてデリケートな思春期とあって、合宿所でも周りになじめず、一人でいることが多かったそうです。

その中で三宅健さんが伝達事項を教えに来てくれたり、電話をくれたり、何かとよくしてくれたとのこと。

また三宅健さんも「入所して初めに仲が良くなったのは森田」と語っています。

ジャニー喜多川氏から「ユーはビジュアル担当」と特別に目をかけられ、オーディション無しの異例の形で入所した三宅健さんは、当初歌やダンスのレッスンも免除されていました。

楽器演奏の経験がない三宅健さんは、合宿所でギターを弾く森田剛さんに憧れたそうです。

そして森田剛さんを「同い年だけど先輩」と尊敬し続けていることを『三宅健のラヂオ』(2022年4月16日回)で語っていました。

②サインは森田剛さん作

三宅健さんのサインは、ジュニア時代に森田剛さんがデザインしてくれたものです。

森田剛さんのサインがカッコいいので、「僕のも考えてほしい」と頼んだ三宅健さんに「ええで」と考えてくれたデザインは、「三宅健」の3文字を見事にまとめたもの。

三宅健さんのサイン

引用元:https://plaza.rakuten.co.jp/loveprincess/10001/

三宅健さんは森田剛さんを「あの人、天才だよね」と絶賛し、サインを変えずに使い続けています。

26年以上使ってるんじゃない? だって、Jr.の頃から使ってるんだから。

割と一途なタイプだから、これと決めたら変えないね。剛くんに考えてもらったから、これを使おうと思って。

引用元:https://news.mynavi.jp/article/20220418-2324301/

②ランキングでも仲良し

雑誌「Myojo」の名物企画・「恋人にしたいジュニア」ランキングで、森田剛さんと三宅健さんは初代1位に輝きました。

今や実質「ジュニアの総合人気投票」と言っても過言ではない「恋人にしたいジュニアランキング」は1995年に始まり、当時は「ジャニーズJr大賞」の一部門でした。

当時ジュニア内でも人気が高かったお二人は、なんとまったく同じ票数を獲得し、同率1位となりました。

30年近い同賞の歴史の中で、同票同率1位は剛健コンビだけです。

息が合うにも程がありますね!

この時森田剛さんは「センスがいい」「友達になりたい」部門でも1位を獲得しており、当時の人気の高さがうかがえます。

③ジュニア単独コンサートで大活躍

「ジャニーズJr」名義で初めて開催された単独コンサートは、1995年の「夏だ!祭りだ!こどもカーニバル!」で開催されたライブとされています。

Jr初ライブポスターの写真

引用元:https://mihiromemo.hateblo.jp/entry/2023/07/16/154306

新高輪プリンスホテル「飛天」の間で行われたこのコンサートで、森田剛さんと三宅健さんはメインボーカルの役を見事に務めました。

数カ月後にV6の盟友となる坂本昌行さん・井ノ原快彦さん・長野博さんや、嵐の大野智さんなどの先輩方をバックに従えてのステージは、気まずさもあったそうです。

なお、当時まだ「ジュニア」のくくりでしたが既に大人気ユニットだったKinKi Kidsも、7月23日・31日の2日間のみこの祭りステージに出演していました。

ポスターには特撮ヒーローや人気アニメキャラクターも並んでおり、着ぐるみショーや体験アトラクションなどとの複合的なイベントだったようですね。

ジャニーズJrはこの後滝沢秀明さんや渋谷すばるさんなどのいわゆる「黄金期」に入り、露出も冠番組も増えて認知度も高まっていくのですが、その黄金期の始まりが剛健コンビの人気と活躍と言われています。

【剛健コンビ】三宅健と森田剛の全盛期はいつ?

三宅健さんと森田剛さんお二人の全盛期として、V6デビュー前後の1995年~2000年代前半を挙げる方がとても多いようです。

引用元:https://x.com/6candyIt/status/1850912693949231456

V6のCDデビューは1995年11月ですが、同年のジュニア単独ライブでメインを張るなど、ジュニア内のお二人の人気は突出していました。

また、「剛健目当てにV6を追い始め、他のメンバーにハマる」パターンは当時とても多く、グループの人気と認知度をけん引する存在でした。

V6各メンバーのキャラクターと持ち味を知らしめた人気番組「学校に行こう!」の放送開始が1997年。

また、CD売上を数字的に見ても、『MUSIC FOR THE PEOPLE(52.7万枚)』が1995年、『愛なんだ(58.4万枚)』と『WAになっておどろう』(52.2万枚)が1997年と、50万枚級ビッグヒットのほとんどが1990年代後半に集中しており、24時間TVの進行役にも抜擢されたりと、V6メンバーとしての全盛期と言えるでしょう。

個人の活動に着目すると、森田剛さんは大河ドラマ「徳川吉宗(1995年)」「毛利元就(1997年/主人公少年期役)」に出演、『ミラクル仮面高校生(1995年)』『シャドウ商会変奇郎(1996年)』に主演。

1998年には、『24時間テレビ』のマラソンランナーとして100kmを見事完走するなど大活躍しました。

三宅健さんは同時期、人気番組『伊藤家の食卓』でレギュラーを務めるほか、数々のドラマやCMに出演しています。

また、V6やComingCentury(カミセン)主演のドラマや映画なども多く、この時期が剛健コンビの全盛期と目されているようです。

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【剛健コンビ】三宅健と森田剛の仲良しエピソード

剛健コンビの写真

引用元:https://x.com/pu_chan1980_18/status/1230286165648891904

「三宅健 森田剛」で検索すると、距離感が明らかにおかしいお二人のイチャイチャ画像が大量にヒットし、親密さをつくづく実感します。

そんなお二方には仲良しエピソードがたくさんありますが、中から6つを厳選してご紹介します。

V6結成は「剛がいないんだったらやらない」

V6は「バレーボールワールドカップ」のイメージキャラクターとして企画されたグループです。

ジャニー喜多川氏は「三宅健さんを1番の主軸とした6人組」として構想し、加入を打診しました。

しかし三宅健さんは、森田剛さんが候補外と聞くや「剛がいないなら、やりたくない」と拒否したそうです。

「剛が入ったら、お前は1番になれないよ?」と言われても、三宅健さんは「剛がいないグループじゃ売れない」という信念を曲げずに、「森田の加入が条件」を貫き、結果的に森田剛さんのV6加入が決定したそうです。(『女性セブン』2014年12月11日号記事より)

三宅健さんの眼力と意志の硬さに驚きですが、この時強情を通さなければあの「奇跡の6人」は生まれなかったと考えると、感慨深いですね。

森田剛の誕生日を祝う三宅健

以前三宅健さんは、森田剛さんの誕生日にメールや電話でお祝いのメッセージを送っていました。

0時になって日付が変わると一番最初に三宅健さんから送られるお祝いを森田健さんはとても喜び、お礼のメールや電話を返していたそうです。

しかしそれが数年途絶えてしまい、「その気にさせといて、弄ばれた気がする」「一度始めたことは最後まで貫き通して」「俺が死ぬまで送ってくれないと悲しい」と雑誌で吐露していました。

なおこの一件は直接三宅健さんに「やるんなら一生やれよ」と要求した結果、2015年から再開したと『A-Studio』出演時(2016年5月27日放送)に語っていました。

復活して何よりですね!

名古屋公演後に剛健コンビは延泊

ツァー公演の翌日に、森田剛さんと三宅健さんだけがもう一泊して名古屋で遊ぶ姿が多くのファンに目撃されていました。

2013年ツァーの名古屋公演を3月24日に終えたV6メンバーは夜のうちに移動しましたが、三宅健さんと森田剛さんのみ延泊しました。

名古屋で遊ぶのが目的で、お互いを「Mr.連泊」と「Mr.延泊」と呼び合い盛り上がるも、夜は目当てのお店がほとんど閉まっていたためお茶だけ飲んで部屋に戻り、翌日に楽しんだとのこと。

単に1日多く泊まるだけなのに、呼び名まで付けるはしゃぎようが可愛すぎます。

ランチでお店の行列に入るタイミングを逃して軽い言い合いになったり、ようやく入れたカレー屋で、食べる前に「カラクナイデスカ?」と訊かれて『まだ食べてねーから!』と完璧ユニゾンで突っ込んだりと、名古屋を満喫したそうです。

「普通の二人連れ男子」なエピソードが微笑ましいですね。

帰路の様子が多く目撃され、名古屋駅周辺でのファン目撃情報がたくさんSNSに投稿されていました。

サングラスなどでの変装はしておらず、新幹線のグリーン車で名古屋を発ったそうです。

三宅健の滝沢歌舞伎を観に行く森田剛

『滝沢歌舞伎』で負傷した三宅健さんを、森田剛さんが激励したことがあります。

三宅健さんは、滝沢秀明さんのオファーを受け2016年の『滝沢歌舞伎』に出演し、大きな話題を呼びました。

滝沢歌舞伎で太鼓を叩く三宅健さんの写真

引用元:https://jp.pinterest.com/pin/851250767103760292

しかし公演三日目の空中パフォーマンス中に右足親指骨折(全治3か月)の怪我を負ってしまいます。

降板はせず、振り付け変更等で対応し、負傷を押して出演を続ける三宅健さん。

その楽屋を森田剛さんが訪れたのは、ケガの1週間後でした。

普段は時間ギリギリに行動する森田剛さんが開場30分前に会場入りし、三宅健さんに「お前の踊りを見に来たんだから踊れよ」と言ったそうです。

三宅健さんは「わかった」と答え、怪我を配慮して変更した振りを、この日から全部当初のハードなものに戻しました

「もし森田が同じ状況なら、足がちぎれても踊るはず」「あの言葉にエネルギーをもらえたから踊れた」と三宅さんは『ダウンタウンDX』出演時に語っていました。

言葉一つで発奮させ、「あいつならやり抜くはず」と結果を出すお二人のやり取りは、まるでバトル漫画さながらに激アツです。

親友であると同時に、エンターテイナーとして良きライバルであることが伝わってきますね。

奮闘の甲斐あって『滝沢歌舞伎』は大好評を博し、三宅健さんは2018年まで出演なさっています。

森田剛の結婚を祝う三宅健

2018年3月に女優の宮沢りえさんとご結婚した森田剛さん

結婚発表を受けて、三宅健さんは「親愛なる剛へ」から始まるお祝いのメッセージを寄せました。

僕たちが出会った頃、お互いまだ10代でしたね。長年ずっと連れ添った君がついに決断の日を迎えたんですね。なんだか、うれしくもあり、さみしくもあります。

僕はこれまで通り君の幸せを常に願っています。素晴らしい伴侶と人生の良き旅を! そして、彩り豊かな日々が剛の才能をより輝かせることを祈っています。そして、これからもたくさんのファンの人たちに支えられていることを日々大切に共に頑張っていきましょう!

引用元:https://hochi.news/articles/20180316-OHT1T50339.html

「長年ずっと連れ添った」「さみしくもあり」など、所々の濃厚な表現に、深く長い友情が感じられますね。

その後三宅健さんの交際ゴシップが出るたびに、「親友の森田剛さんに触発されて結婚するのでは」と書かれるようになりました。

しかし2024年11月現在確定的な話はなく、三宅健さんは「元V6唯一の独身」生活を楽しんでいるご様子です。

三宅健と森田剛の間でケンカはあった?

日々の接点が多かっただけに、剛健コンビも若い頃は小さな言い合いやぶつかり合いなどはあったようですが、絶交に至るほど深刻なケンカの話は語られたことがありません。

ただ、ずっと前に森田剛さんと堂本光一さんとのケンカがあったことを、堂本光一さんがコラムに書いていました。

「もう時効だろうから」と切り出したのは、デビュー前の合宿所で森田剛さんとガチで殴り合ったケンカのことでした。

後に引きずることはなかったそうです。(『日経エンタテインメント!』2022年1月号/堂本光一さんの連載コラム「エンタテイナーの条件」より)

Kinki kidsのデビュー前となると1997年以前ですから、両者まだヤンチャで多感な時期で、ぶつかることもあったのでしょうね。

このケンカについて堂本光一さんは他の機会でも断片的に語っていて、ファンの人が情報をまとめたところ「以前一度だけ、バナナクレープを勝手に食べたヤツに殺意を抱いたことはある」「バナナクレープは俺のじゃない」らしく、「堂本剛さんのバナナクレープを勝手に食べた森田剛さんに堂本光一さんが怒り、ぶっ飛ばした」可能性が高いそうです。

当事者は真剣そのものだったと思いますが、傍からはなんとも可愛い話ですね。

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まとめ

三宅健さんと森田剛さんは「剛健コンビ」と呼ばれ、ジュニア時代から現在に至るまで格別の仲の良さで有名です。

数々の伝説的な仲良しエピソードがあり、特にV6のメンバー選定に「森田剛が絶対必要」と推す三宅健さんの意向が大きく影響した話は有名です。

V6解散を経て、森田剛さんは俳優として、三宅健さんは「職業:アイドル」を貫いて違う道を歩みつつも、互いのリスペクトは変わっていません。

今後は、大人の魅力を増したお二人の共演にも期待したいですね。

三宅健さんの過去エピソードについては、こちらの記事もおすすめですよ。

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