SnowMan向井康二の幼少期や子供時代がかわいい!幼稚園や何歳までタイだった?
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関西出身でSnowManのお笑い担当である向井康二さん。

実は幼少期にスカウトされて芸能界に入ったということをご存知ですか?

この記事では、スカウトされるほどかわいい少年だった向井康二さんの幼少期について、かわいい写真とともにご紹介します。

最後まで読むと、向井康二さんの子ども時代にメロメロになってしまいますよ。

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SnowMan向井康二の幼少期や子供時代がかわいい!

向井康二さんの幼少期や子供時代がかわいいとたびたび話題になっています。

SnowMan向井康二の幼少期や子供時代がかわいい!幼稚園や何歳までタイだった?

【引用元】https://x.com/abc_mks/status/1454447451352420352?s=61&t=LKos6xqyc0KcBb-VRWdxUg

1歳の頃の写真です。


まつ毛が長く、ぷっくりと落ちそうなほっぺがたまりません。

小さな頃から整った顔をしていてとてもかわいかったのですね。

ここでは、向井康二さんがどんな幼少期を過ごしていたのか、その頃のかわいい写真とともにご紹介していきます。

向井康二の赤ちゃん時代の写真

向井康二さんの赤ちゃんの頃の写真をご紹介します。

SnowMan向井康二の幼少期や子供時代がかわいい!幼稚園や何歳までタイだった?

【引用元】https://pin.it/47nQcOF0z

向井康二さんは1994年6月21日生まれの30歳(2024年12月現在)。

タイ人の母親と日本人の父親の間に生まれたハーフで、出生地はタイとも大阪とも言われています

向井康二さんの「康二」という名前は、健康を願って付けられたそう。

次男であることから、「二」をつけて「康二」と名付けられたようです。

大人気アイドルである向井康二さん。

忙しい毎日だと思いますが、お名前の通り、健康でいつまでも元気に活動していて欲しいですよね。

向井康二さんの出生に関して詳しくご紹介している記事がありますので、こちらもぜひ読んでみてくださいね。

向井康二の小さい頃の幼稚園はどこ?

向井康二さんの実家は奈良県香芝市五位堂と言われています。

ファンの間でたびたび五位堂での目撃情報が流れていることから、確実な情報だとして言われているようです。

幼少期は香芝市の『ハルナ幼稚園』に通っていたそう。

SnowMan向井康二の幼少期や子供時代がかわいい!幼稚園や何歳までタイだった?

【引用元】https://x.com/nyamooos/status/1713829195397406993?s=61&t=LKos6xqyc0KcBb-VRWdxUg

奈良に帰るたびに幼稚園に寄っているそうで、2023年に出演した朗読劇「ハロルドとモード」の会場には、ハルナ幼稚園からお花が贈られていました。

大人になった今でも、通っていた幼稚園との関わりを持っているのですね。

向井康二の子供時代はタイ!何歳まで?

向井康二さんはタイで生まれたそうですが、その後どのくらいタイで過ごしていたのでしょうか。

2023年に発売された雑誌「るるぶタイ バンコク・アユタヤ’25」ではタイで過ごした思い出も語っています。

子供の頃は、1年のうち3ヶ月くらいをタイで過ごしていました
小学校の長期休みを1ヶ月くらい多くもらって、事務所に入るまではお母さんの帰省に合わせて毎年行っていましたね。
タイでは実家の近所の友達と遊んだりして過ごして、そこで日常会話レベルのタイ語が身につきました。

引用元:るるぶmore

タイで過ごしている間は本場のムエタイを習っていました。

このムエタイ道場に飾ってあった幼少期の向井康二さんの写真が当時の事務所社長の目に止まり、スカウトされたのです。

向井康二さんのスカウトや入所のきっかけについてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。

向井康二は習い事をたくさんしてた?

向井康二さんは幼少期から習い事をたくさんしていたようです。

日本舞踊、ムエタイ、お茶、サッカー、テニス、空手、水泳など、さまざまな習い事をしてきたのだとか。

タイではお母さんに「絶対に行きなさい」と言われて、2歳上の兄と一緒にムエタイジムに通っていました。
朝ランニングをするんですけど、雨の日は本当に憂鬱で。
濡れた田んぼを走るので、ぬかるみに足がはまって本当にキツいんです。
でも「それが脚力をつけるのにはいいんだよ」って言われてました(笑)。

事務所にスカウトされたのも、ムエタイジムがきっかけだったんです。
ジムに飾ってあった写真を見て母に電話がかかってきて。
まったく興味はなかったんですけど「お菓子あげるから」の誘惑につられて行きました。
そのときは小2でまだ小さかったので「何年か後においで」と言われて、小5で入所しました。
今でもジムには僕の写真が飾ってある部屋があるんです。
この間行ったらたくさん自分の写真があって、うれしかったな。
でもタイって暑いじゃないですか。
だからカラーの写真が日に焼けて、だいぶセピア調になっていましたね(笑)。

引用元:るるぶmore

前述した通り、本場でムエタイを習っていたためスカウトされ、現在の事務所に入所することになりました。

そして現在のように、SnowManとして大活躍することとなったのです。

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SnowMan向井康二のジュニア時代

向井康二さんはタイでスカウトされ、現在の人気を得るまでにどのようなジュニア時代を過ごしてきたのでしょうか。

ここでは、関西でジュニア活動をしていた頃の不遇な時代や大きな転機になったSnowManへの加入についてご紹介します。

向井康二は関西ジャニーズで不遇な時代が続いていた

向井康二さんは2006年10月8日に現在の事務所に入所し、2019年のSnowMan加入までの13年間、不遇な時代を過ごしてきました。

いくつかのユニットに所属しましたが、元King & Princeの平野紫耀さんらとのユニットKin  Kanは特に人気を博しました。

しかし、2014年のジャニーズWEST(現WEST.)のデビューでは、自身もグループに入れないかと当時の社長に直談判していたそうです。

社長からは「YOUはここじゃない」と言われ、その願いは叶いませんでした。

その後、同じKin  Kanで活動していた平野紫耀さんやKing & Princeの永瀬廉さんが東京へ移籍して、残った関西ジュニアは“焼け野原”と言われるほどに。

それでも諦めずにメンバーを牽引していた向井康二さんですが、2018年になにわ男子の結成が発表された際、自身の名前が入っていなかったことに大変ショックを受けたと言います。

切磋琢磨してきたメンバーや後輩たちがユニットを結成したりデビューしていくなか、取り残された向井康二さんは、「切り捨てられたような気持ち」になり、退所まで考えたそうです。

ですが、自身の努力不足なども考え、最後まで足掻いてみようと企画書まで作ってプレゼンをしたりと試行錯誤しました。

いくつかの企画の内、有力なユニット案が出たようですが、これも実現することはありませんでした。

SnowMan加入が向井康二の大きな転機に

元々6人グループだったSnowManに、向井康二さん、目黒蓮さん、ラウールさんが加入したのは2019年1月17日

これは向井康二さんにとって大きな転機となりました。

長い下積み時代を経て、関西から離れ、すでに出来上がっているグループへの加入はとても覚悟が必要だったでしょう。

しかし、「SnowManに誘われなかったら辞めていた」という向井康二さん。

これまで不遇なジュニア時代を過ごしてきた向井康二さんは、これが最後の機会だと考えていたそうです。

SnowManはほとんどが長いジュニア時代を過ごして苦労してきたメンバーばかり。

2020年のデビューは、向井康二さんだけでなくメンバー全員の念願でした。

3人の加入がSnowManの転機ともなったのです。

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まとめ

ここまで、幼少期からデビューまでの向井康二さんについてご紹介してきました。

タイと日本のハーフである向井康二さんは、赤ちゃんや幼少期の頃から可愛かったとファンの間でもたびたび話題になっています。

タイで生まれたあと、幼少期から事務所に入所するまでは日本の奈良県に住んでいましたが、1年のうち3ヶ月くらいはタイで過ごしていたそうです。

幼少期にさまざまな習い事をしていた向井康二さんですが、タイで過ごしている間は本場のムエタイを習っており、その道場に飾ってあった写真から現在の事務所にスカウトされたのです。

関西でジュニア時代を過ごし、不遇な時代を経て、今ではSnowManとして大活躍することとなった向井康二さん。

これからもその活躍に期待して、応援していきましょう!

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